やまちゃんの
ベジタリアンへの軌跡
●やまちゃんの菜食主義への途(みち)
 現在俺様は牛肉、豚肉、鶏肉といった家畜の肉を全く食べず、魚と卵がごくたまに、又、牛乳は飲まないけど、乳製品が入っちゃってるバンなどを時々食べちゃうというレベルのベジタリアンなんだけど。心情的には動物性の物を全く口にはしたくないので、将来は完全菜食に移行したいと考えてるんだ。ちなみに過去に1年間だけ動物性を完璧にシャットアウトした事があるから、完璧自炊できる時間的猶予さえあればいけるんだよね!
 ところで、ベジタリアンがレストランなんかに行って、「肉を抜いて下さい」と言うと、なかには、床屋さんに入ってきたお客さんがスキンヘッドだった時の理容師のような反応をするウェイターもたまにいるんだけど、それよりもバンピー(一般ピープル)の人達の冷笑的態度の方が深刻なんだよね〜。
 皮肉な事に、俺様自身が以前は肉食をしていた普通の人なので、この気持ちは晴れわたった空のように鮮明に理解する事ができるんだ。
 初めて会う人に、「私は菜食主義者(ベジタリアン)です」と自己紹介すると、大抵の人は「何かの宗教に入っているのか?」「動物愛護の為か?」というステレオタイプな反応が返ってくるんだけど、ひどい時には「変人」のレッテルを貼られて仲間外れにされる事もあるんだよね。
 ちなみに俺様の育った青山で同じく「私は菜食主義者です」と言ったら、宗教を信仰している本当にベジタリアンのインテリジンガイ(外人)などウジャウジャいるし、キリンのように長い首したデルモ(モデル)のジンガイ(外人)なんかはサラダしか食べないので、世界の最先端のトレンドが一番早くやってくる青山に住む人々なら、「ベジタリアン、オッシャレー!」ってなミーハーなノリですぐに羨望のまなざしを向けられるんだ。つまり、都会では他人と違う事を堂々と暴露するのが社交辞令的慣習なので、ベジタリアンと言ったところで何の障害もなく、むしろ自分自身について語る河村隆一氏のように“ナル”入る事ができるんだけど、こういったハイブローな土地以外では、悲しいかなそれはまったく通用せず、タダ単に「変な人」として無視されるのがお決まりのパターンなんだよね〜。
 俺様の“知的水準の高い友達”ですら、理性的にロジカル(論理的)に俺様の意見を聞いても肉食がやめられない人がいるのだから、菜食主義などバンピーには当然無理な押し付けだと感じずにはいられないんだけど、実を言うと、俺様が「肉食は悪だ」などと断言できるベジタリアンになれたのも、決して一朝一夕の出来事ではなく、それなりに時間と努力があったんだよね〜。
 俺様は元々は“人5倍”肉が大好きな“フツーの人”だったし、現在の過食、飽食の食いたい放題のグルメ文化を謳歌するバンピーの気持ちなんかは、前述のように手に取るように理解できるんだよね。
 それでは、バンピーの菜食主義に対する懐疑心を、以下思いつくまま列挙してみよう。

 ★ 肉を食べないと栄養が偏るのではないか?
 ★ 肉を食べないと力が出ないのではないか?
 ★ 肉を食べないと精力がつかないのではないか?
 ★ 人間の体(細胞)を作るのは、タンパク質(肉)なのではないか?
 ★ 人間は昔から狩猟採集、つまり狩りをして肉食動物だったのではないか?
 ★ 菜食主義なんて変わった事すると、現代の食事、特に外食ができず、現代
   社会では生きていけないのではないか?
 ★ 社交上、肉を食べない訳にはいかず、菜食主義なんかを実行すれば、仲間
   外れにされるのではないか?
 ★ 菜食主義を実行すると、最終的にマイケル・ジャクソンになってしまい、
   強制的にチンポコの写真を撮られるハメに陥るのではないか?
 ★ 単純に誰が何と言おうが、オレは肉が大好きだ!

 下部に来るに従って本音に近くなっていると思うけど、上記のバンピーの懐疑心に対しては、一つ一つ丁寧に答えてあげる事ができるんだけど、通常そのような時間もなく、バンピーも“聞く耳”を持たないんだよね〜。それどころか、ほぼ一方的に肉食を肯定されるのがオチな事を、俺様は経験的に知ってるんだけど、率直に言えば、こういったバンピーの態度こそ、理性とはほど遠い感情論で、俺達ベジタリアンに対する暴力的態度だと俺様は訴えたいんだよね。
 でも、何度も言うようだけど、皮肉な事に俺様自身が自分の人生を振り返れば、バンピーの菜食主義に対する理解度のレベルを思い出す事ができて、我ながら恥ずかしいんだ。
 そんなこんなで、俺様の人生の歴史を紹介する事で、これを読むベジタリアンではない人達の菜食主義に対する理解のレベルが分かると思うんだ。おそらく皆さんは「オレは(私は)、この位の理解度だなフムフム」とか思う箇所があると思うんだよね。ちなみに幼少期から肉を食べなかった人や、純粋に肉が嫌いな人は、以下には含まれないと思うけど、まぁ、笑いながらでも読んでみてよ。
 それでは以下に、俺様の嫌いな文部省の学校のノリで、俺様の菜食主義への歴史の過程を『学期』を使って紹介したいと思う、ヨロシクベイベー!

●菜食主義入学前
 俺様はサラリーマンの家庭に比べれば、自営業を営む親父のおかげで、比較的裕福な家庭に育ったんだけど、(手前みそパワー炸裂!)長男一人っ子で欲しいものは何でも買ってもらっていた絶好調な子供だったんだ。
 そして親父は自称“グルメ”を気取っていて、当時発売されていた『東京いい店うまい店』という本に掲載されている“味・サービス・価格”が全部五つ星の店を家族で食べ歩いていたんだ。そして、全部五つ星の店を周り終わると、今度は四つ星の店に行くんだけど、子供のクセに俺様は、この“1つの星の差”が分かる、エラク舌のこえた超生意気なガキになっていたんだ。なんだか自慢話で申し訳ねーんだけど、ようするに俺様は小学生くらいの時には、とんでもなく贅沢な食事をしていて、松坂ってる牛とか、神戸ってる牛なんてのは“当たり前”ってな調子で上等な肉をジャンジャンバリバリ食っていた。これが『菜食主義』の存在など“ツユ知らず”のノーテンキな幼少期の俺様の姿であり、ここまでノーテンキで菜食主義に対して無知な人はあんまりいないだろう。

●一学期
 ところが俺様はその後(小学校中学年くらい)、おそらく2番目の母親から、世の中には『菜食主義者』なる野菜しか食べない人がいる事を知らされたんだよね。(こんな事を教える大人は他にはいないので、多分母親だと思うが定かではない)俺様は菜食主義者の存在に疑問を持ち、子供の通常の法則にならい、「何でお肉を食べないの?」と質問した所、その時、母(?)は、「それは、その人達は動物を殺すのが可愛そうだと思っているからヨ」と答えたんだ。何てことはない、バンピーの“フツーの”理解度のレベルである『動物愛護の精神』を教え込まれた訳だ。では、小学生のクセにませていた俺様の、この時の率直な感想を以下に述べよう。

「確かに動物を殺すのは可愛そうだし、人間以外の全ての生物を尊ぶ精神をベースにすれば、動物を殺すのは良くない事だけど、それじゃー植物の命はどうでもいいって言うのかよ、植物だって同じ命にかわりがないんだから“命”の重さをダシに使うなら、植物だって愛護しなくちゃなんなくて、生き物の“命”を尊ぶなら、人間は生き物は食えなくなって餓死すんのがオチなんじゃないの? ようするに“菜食主義”なんてとっても欺瞞に満ちたもので、てんでツジツマが合ってネェーや、クダラネー。まっ、それでも確かに動物殺すのはカワイソーだから動物愛護の信念を抱く人はそのまま菜食主義を貫いてもいいんじゃない、世の中は広いんだし、そういう人が一部いたって別に構わないと思うよ。でもオレは肉が大好きだし、ウメーから肉食うぜ、ワリィーなバイバイ、こんなウメーもん食えなくてカワイソーに、ご苦労さん」

 おそらく現代の日本人の90%以上の人が、この時の俺様の考えと大同小異な意見を抱いているんじゃないのかにゃ〜。 現在俺様が周りから蔑視されているように、この時は俺様自身がベジタリアンを蔑視してたのだ! つまり、世の中のほとんどの人は、俺様の菜食主義への途のレベルで考えれば、『一学期』程度のレベルだと思うんだ。

●二学期
 その後もベジタリアンの存在など気にせず肉食に明け暮れていた俺様は中学生になったんだ。ある時、中学生の俺様はウサンクサイ勧誘でうずめく渋谷駅を歩いていると、例に漏れずウサンクサイ人から1冊の小冊子を手渡されたんだ。普段ならそんなモンは受け取らないんだけど、なぜかこの時は受け取っちゃって、ちなみに、これを配っていた人の頭はスキンヘッドで、今思うと多分クリシュナ系の人だったんだと思う。
 この小冊子の表紙には、菜食主義について書かれていたような感じだったので、生意気な都会の中学生だった俺様は、「まったく宗教なんてクダラネーなー、何が菜食主義だよ、バーロー、オレは肉食うって言ってんじゃネーか。又、クダラネー理屈でもほざいてるんだろ、フン!」と、率直に思った。
 ところが、その小冊子を開くと、予想とはウラハラに(裏原宿じゃないよ)、極めてロジカルに人間が菜食主義をしなければならない妥当性が記述されていて、とりわけ今でも覚えている印象的な部分は、肉食動物と草食動物の“アゴ”の骨格の比較図で、人間がいかに草食動物に近いかが一目瞭然だったんだ。
 俺様は少なからずショックを受け、心の中にほのかに、「人間は菜食に適した動物なのか?」という思いが立ち込めてきたんだよね。そして、世の中のベジタリアンとは単に『動物愛護』なんて抽象的な感情論をベースにした人達ではなく、極めてロジカルな理論をベースにした理知的な人なんじゃないのか? と考え出したんだ。
 ところが俺様の愚行を暴露すると、その時初めてベジタリアンに対する誤解が解けたのに、単なる俗人だった俺様は、「イヤー、ベジタリアンってのはエライ奴だな。でもオレは肉の味にそまっちゃって、肉食うことやめられねーから、ワリーけど肉食うよ、バイバイ、ポイッ(小冊子を捨てた擬音)」と、まだ肉食を続けたんだよ。
 おそらく俺様がいくらロジカルに説明しても、肉食をやめられない俺様の友人達は、この時の俺様の気持ちとおんなじ状態なんじゃーねーのかなー。

★何でも食っていた幼少期のやまちゃんと、ノーテンキなマイ・ファーザー★
(原宿のシェーキーズにて)

●三学期
 話を戻して、ノーテンキにベジタリアンに対する“知識”だけを有した、高慢ちきな若造(俺様)は、そのまま肉を食べながら成人したんだ。
 俺様は独立心がとても旺盛な生意気な若造だったので、独立を目指していたんだけど、この頃、独立する為にビジネス書やサクセスストーリーものの書籍を読みまくっていたんだよね。
 もう捨てちゃったんだけど、その中の本の著者にベジタリアンがいたんだ。その著者は、事業家にとって必要なのは、正確な判断力であり、その為には身体が健康でなければならないという考えのもと、菜食主義を抱いている人だったんだ。
 又、事業に成功したあらゆる人々は、事業を成功させる為には、それ以外のあらゆる事をキッパリやめ、本心から“成功”だけを願うようにしなければならない事を繰り返し述べていて、当然、タバコや大酒はもっての他で、そんなものに手を出していたら、とても成功にはおぼつかないといった調子で、それらの本には書いてあったんだ。幸い俺様は酒とタバコはやらなかったので、(現在は酒は少々たしなむ)バンピーに対してすでにアドバンテージがあると内心ほくそえんでいたんだけど、食生活に関してはてんでデタラメだったので、この『正確な判断力』を備える為には、真剣に食生活を改めなければならない事を自覚したんだ。ようするに俺様は自分が成功する為に真剣に菜食主義を取り入れようと考えた訳さ。
 この著者の本には、論理的な肉食の害と、更に牛乳に対する痛烈な批判が記述されていたんだけど、ちなみに現在の俺様の牛乳嫌いはこの時からなんだよね。俺様は元々牛乳は嫌いだったので、義務教育を終えてからは牛乳は飲まなかったんだけど、ピザやグラタンやヨーグルトは大好きで、ガンガン食べていたんだ。でも、俺様はこの時(21歳)から上記のもの、つまり牛乳以外の乳製品も極力食べないように心がけたんだ。 俺様がバンピーと違い、完全とまでは言わないまでも菜食主義を食生活に取り入れたのは、俺様の「事業家として成功したい」「金持ちになってフェラーリ買って六本木にナンパしに行きたい」「広尾のガーデンヒルズに住みたい」「他人に“ハク”つけたい」という強烈な願望が起因していたんだよね。つまり、強烈な“利己主義”がベースだったんだ。
 でも、今分析すると、この著者の論理は、この著者自身の健康には有効だと思うけど、俺様には全然あってなくて、俺様がこの時(21歳)から採用した毎日の食事メニューは、肉こそ食べないものの、今考えるとデタラメで、俺様は陰陽のバランスで言えば、極めて“陰性”な体質になっちゃったんだ。
 それと、あくまでも『利己主義』(自分の願望の為)の菜食主義だったので、自分がちゃっかり成功する為に、他人が肉を食べる事に対しては口を出さなかったし、自分自身も外食時に“ぶれいこう”で肉を食べた時には、「やっぱりオイシー」と思っていたんだ。
 つまり、この『三学期』は、独善的な『利己主義』による、俺様個人独特の期間だったので、ここに属す人はほとんどいないだろう。


●四学期

 その後、俺様は希望通り独立し、高尾山のふもとに『MY CONCEPT』という、オートバイのレーシングサービスショップをオープンしたんだ。
 よ〜く思い出せば色々な事があったけど、今となってはアッという間の3年間だったんだけど、俺様はスズカでの優勝をキッカケに、事業欲が極端に低下しちゃって、親父からの「引き際がかんじんだ」という助言に従って、親父に金も借りていた事も手伝って、店をクローズしたんだ。
 そして、俺様は21歳の時に抱いた強烈な信念である「成功こそ全て」「ウイニング・イズ・エブリシング」という考えも同時に捨てちゃったんだ。
 そして、俺様のそれまでに抱いていた夢は、その時にとてもむなしいものだとも思ったんだよ。おそらく広尾のガーデンヒルズに住んで、フェラーリ乗って(GT40でも良かった)、親父にはポルシェの356スピードスターあたりでも買ってあげて、たまには俺様が乗って、ヨーロッパの金持ちみたいに自分のサーキット持って、そこでS30Zや、ターボラグのあるロータスヨーロッパ(注:『サーキットの狼』熟読者にしか分からないギャグである)なんかを“転がす”事ができても、多分俺様は不幸だろうなと思ったんだ。
 俺様はその時点(26歳)で彼女いない歴4年にもなっていたんだけど、22歳の時に職人やりながら彼女と過ごした『愛と奉仕』の時期を思い出して、たかが30万いかないくらいの手取り給料で、家賃3万円のアパート住んでチマチマやっていても、そっちの方が幸せだったなーと痛感したんだ。
 手前みそパワー炸裂だけど、俺様はどこか無私で、世渡りがターヘー(下手)な“デクノボー”で、どちらかというと利己主義を抱いて嫌悪感にひたるより、捨て身的に他人にサービスしている方が“らしい”ような気がしてきたんだ。
 つまり、俺様は店の閉店をキッカケに、少しづつ、そしてその後、急激に、つまり二次曲線的に『利己主義』から『愛と奉仕』に考えを切り替えたのさ。
 俺様がまず最初に取り組んだ『愛と奉仕』の行動は、人類の愚行である、『地球の環境破壊』を直視する事だったんだ。
 俺様は『FOR BEGINNERS』というシリーズの環境問題に関する本を片っ端から読んだんだけど、その中に『自然食』というのもあって、俺様は菜食主義取り入れていても、食べてる野菜は農薬バリバリだったので、この『自然食』にも前々から興味を持っていたんだ。
 そして、この『自然食』という本を読んでから、食生活に『玄米食』を取り入れ、それと並行して肉食を“完全に”廃止したんだ。
 俺様は近所に自然食品を扱う店を発見してからは、この自然食熱はエスカレートして、10年も独り暮しをしていながら、何の料理も作れなかった俺様は、料理をするようになり、この自然食の“おいしさ”を堪能するようになったんだ。
 そう! 自然食とはマゾヒスティックな苦行なんかではなく、とても奥が深いオイシーものなのだ! むしろ、現代の過食・飽食が味オンチを生み出している現状はとっても皮肉な話で、これは医学的にも明らかになってきているんだよね。
 俺様は、この本から桜沢如一氏(さくらざわ・ゆきかず:海外では桜沢を“オーサワ”如一を“ジョイチ”と読む事から、ジョージ・オーサワという名前で通っている。ちなみに彼の作った自然食品メーカーの日本支部の名前は『オーサワ・ジャパン』である)のマクロビオティックの理論を食生活に取り入れ、それまでの陰性体質から、今度は一転して陽性体質へと体質改善をはかる事ができたんだ。
 俺様は、桜沢如一氏の後に続いた久司道夫氏の著した『マクロビオティック食事法』の上下巻も読破し、この本から人類の生態学的退化と、人類の愚行が我々の食生活に密接に関わっている事を知ったんだ。
 そして、食糧問題や他の問題を調べるにつれ、我々のデタラメな飽食グルメ文化が、いかに地球の環境破壊と関わっているかも知る事ができたんだ。
 俺様は現在、肉を“見るだけで”異常な嫌悪感と気分の悪さに襲われるんだけど、人間が無理やり作り出した“製品”としての肉の実態と、飢えで苦しむ第3世界の人々の姿と、その人達の犠牲の上で成り立っている先進国のグルメ文化を謳歌する人達が、現実には生活習慣病でバタバタ死んでいく現実を思うと、もはや俺様は肉を全く口にできない人間になっていたんだ。
 俺様は「フェラーリ買いてー」なんていうチマチマした利己主義的“欲”から、「地球を救う」という、大いなる野望を持った“大欲”に目覚め、文字通り“食い改める”事で菜食主義を実行しだしたのさ。

●エピローグ
 どうだろう? 俺様がベジタリアンになる為には、10歳前後の頃、初めて『菜食主義』という言葉を知ってから、実に15年もの長い年月がかかったのだ! 一朝一夕どころか、エラク長い年月だぜベイベー! これだけ長い年月がかかったのは、菜食主義を他人から押し付けられたのではなく、自らの独学により得た知識から、自分自身納得した上で決断してきた事に原因があると思うんだけど、ようするにみんながベジタリアンになる為には、『自らの決断』こそが重要で、独学が大切だと思うよ。
 もし、家畜の肉がどれだけひどい状況で作られているのかを勉強すれば、“健康の為に”と言いながら肉を食べる事が、とっても“オメデタイ”という事が理解できると思うし、そのような具体的な“事実”を知っている俺様の前で、「イヤー、人間は動物殺して食べんのは“本能”だから、別に肉を食べる事が悪いとは思わねーなー。むしろ野菜ばっか食ってちゃ体こわすんじゃないの?」などと俺様の体を心配するバンピーに対して、俺様が何も言わずに冷笑したくなる気持ちも分かるだろう。体こわすのはお前だよお前!
 そして、人間に食べられる為に、家畜達がどれだけ不快と苦痛を味わされているのかを勉強すれば、菜食主義者が動物愛護を唱える「偽善者だ」という人が、それまで食べたウシやブタやトリ達に呪われると思うだろう。
 現在、日本を含む全世界の人達が、自分達が食べる肉の潜在的危険性を認識せずに、日々これを食べているけど、バンピーは肉や酪農品に対して、その安全性について何の確証もなしに食べていて、その危険性を疑う人はほとんどいない。
 ほとんど笑う事しかできないほど、現代人はノーテンキに生きているが、肉が及ぼす危険性、健康リスクについては、誰かが隠蔽しているとしか思えない程、その情報が伝わってくる事はない。そして、皮肉な事に現代は“情報化社会”なのだそうだ。一体誰の為の情報なのだろう? 
 最後に、俺様は全人類が、家畜の肉を食べる事を、即刻かつ永久に放棄する事を願わずにはいられない。そして、自らの愚行を露呈しつつ、菜食主義を今後も訴えつづけたいと思う。ベジタリアンを善男善女の集まりだけにしておいては、ただのマスターベーションになってしまうので、かなり毒づいた文章だけど、どんなに悪タレをこいていても、俺様も最後に大切なのは、“愛”だと考えているので、善良なベジタリアンの方は大目に見てちょーだい!

   
1994年10月28日

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